津波警報に寄せて

昨日は、カムチャッカ地震による津波警報の発令で、避難や予定変更等落ち着かない一日を過ごされたことと思います。昨日幼稚園には10名ほどの預かり保育利用の園児がおり、地震後の「津波注意報」発令時には子ども達に「遠くで強い地震が起きたので、釧路にも津波が来るかもしれない。」というお話をしました。警報発令後には保護者の安全確保の上お迎えに来ていただく様ライン連絡をさせていただき、子ども達は通常通りに幼稚園で過ごしました(幼稚園は海抜21m程のところに建っています)。ただ、津波の状況把握の為にネットとテレビでニュースを流していましたので、いつもとは違う緊迫感があったかと思います。私も小学生の時に大きな地震があり「また地震が来るかもしれないから、今日は服を着たまま荷物を枕元に置いて寝なさい。」と親に言われた記憶がありますので、大人の自然災害に対応する姿を見ることが、子どもにとっては生きた学び、生きる力になる気がします。昨日の21時前には警報が解除になりホッとしましたが、まだ「注意報発令中」なので情報収集に努めたいと思います。

私は3・11の東日本大震災を厚岸で、小学校の目の前まで来る海水、海水に浸かった街の被害の大きさを体験しました。また学校に勤める者として「保護者にお子さんを返す」ことよりも「子どもと保護者の安全確保の重要さ」「お迎えに来てもらう事が第一義ではない」ことを痛感しました。私には忘れられない地震の記憶の一つに、40年ほど前の日本海中部沖地震があります。1983年5月26日の正午ごろに大きな地震が起き、海岸に遠足に来ていた子ども達は、地震が起きた事、津波の情報も無く、そのままお弁当を食べていて多くの子ども達が津波で命を落としたのです。私はそのニュースを見た時に先生という職業の責任の重さが身に染みました。一つの判断のミスで多くの子ども達の命が失われてしまう責任を感じ、その後遠足に出掛ける時にはラジオを持って出かけていました。そういう意味では、今はロシアで地震が起きてもスマホが鳴り、津波警報が出たらスマホが鳴るありがたい時代になったと思います。ふぞく幼稚園でも子ども達の安全を第一に対応することを職員で確認していきます。

国と国との間にはいろいろな軋轢があり、大人は子ども達のお手本にならないようなトラブルを起こしていますが、地震が起きると「海も陸地も地球は一つに繋がっていて、国境はないんだな…。」と、当たり前のことを感じます。全国的には亡くなった方やケガをした方も出て、日本の最高気温が更新された中での避難はさぞ大変だったろう…、と涼しい釧路で心が痛みます。子ども達の為にも、穏やかな日常を願っています。早く、津波注意報が解除になるといいのですが…。今日の預かり保育利用の子は「スライム作り」に挑戦中です。(森)